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人権・人道についての見解
「平和と人間のための安全保障」―国家主権から人間主権へ
(ハワイ「東西センター」での記念講演1995年1月27日から引用)
■近代戦争は国権の発動 第三に、「国家主権から人間主権へ」の発想の転換であります。
21世紀の相次ぐ争乱の主役を演じてきたのは、何といっても主権国家であります。国権の発動としての近代戦争は、ほとんど有無をいわせず、すべての国民を大いなる悲劇へと巻き込んでまいりました。
両大戦ののち、苦渋の経験を踏まえて、国際連盟や国連連合が結成されたのも、一面から言えば、何らかの形で、国家主権を制限し、相対化しうる上位のシステムを作り出そうとの試みであったと思うのであります。
しかし、その意欲的な試みも、今なお「日暮れて道遠し」の感はいなめません。
■「人類益」「世界市民」の時代をー国連はソフト・パワーを基軸に
幾多の難題を抱えながら、本年、国際連合は、満50歳を迎えようとしております。私は、「人類の議会」たるべき国連は、あくまで対話による「合意」「納得」を基調としたソフト・パワーを軸にして、従来の軍事中心の「安全保障」の考え方から脱却しつつ、機能の強化を図っていくべきであると信じる一人であります。
例えば、「環境・開発安全保障理事会」の新設など、新たな活力をもって、「人間のための安全保障」に取り組んでいくことが望まれます。その際、何といっても、すべてのベースになるのは、国連憲章が「我ら人民は」と謳い上げているように、「国家主権から人間主権へ」の座標軸の変換であります。
そのためにも大切なのは、「人類益」(人類全体の利益)という幅広い視野をもった世界市民を育成し、その連帯を広げゆく草の根の教育運動ではないでしょうか。
意義深き国連創設50周年の節にあたり、私どもも、NGOとして、青年を中心にさらに力強く、グローバルな意識啓発を推進しゆく所存であります。
■世俗の権力を超える「真理の王」の魂ーナショナリズムは集団力の崇拝
この「国家から人間へ」という転換を、仏法者の立場からいえば、「一個の人間として、巨大な権力にも毅然と対峙し、権力を賢明に相対化していける人格を、どう形成すべきか?」という主題であります。
20数年前、イギリスの歴史学者トインビー博士は、私との対談の中で、「ナショナリズム(民族主義)は、人間の集団の力を信仰の対象とする宗教である」と位置づけておりました。これは、国家のみならず、今日、世界各地で地域紛争を激化させている「自民族中心主義」にも当てはまるでありましょう。
こうした人類の生存を脅かす狂信的ナショナリズムなどの諸悪と対決し、克服しゆく力を、トインビー博士は、未来の世界宗教に要望されたのであります。なかんずく、博士が、「普遍的な生命の法体系」を説いた仏法に深い期待を寄せられていたことを、私は忘れることができません。
たしかに、仏法の伝統は、人間の内なる「真理の法」に立脚して、権力というものを超え、それを相対化しゆく、実に豊かな水脈を有しております。
例えば、釈尊は、セーラーというバラモンから「王の中の王として、人類の帝王として、統治をなさってください」と懇願された時、「セーラーよ、私は王ではありますが、無上の真理の王です」と応じているのであります。
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